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大阪地方裁判所 昭和45年(行ウ)90号 判決

原告 松田マサ ほか五名

被告 住吉税務署長

訴訟代理人 岡準三 中川平洋 ほか三名

主文

一  被告が、亡松田勇太郎の昭和四三年分所得税につき、昭和四四年七月二五日付でした総所得金額を一五一八万三七四四円とする更正処分のうち、一三九一万八二四七円をこえる部分、ならびに過少申告加算税二四万四二〇〇円の賦課決定処分のうち、右総所得金額一三九一万八二四七円をこえる部分に対応する部分は、いずれもこれを取消す。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分しその四を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告ら)

1  被告が、亡松田勇太郎の昭和四三年分所得税につき、昭和四四年七月二五日付でした総所得金額を一五一八万三七四四円とする更正処分のうち、五九六万二一〇七円をこえる部分ならびに過少申告加算税二四万四二〇〇円の賦課決定を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

(被告)

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二当事者の主張〈省略〉

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

勇太郎が本訴提起後の昭和四八年八月七日死亡し、原告らがその相続人であることは、本件記録中の戸籍謄本により明らかであるから、原告らは、勇太郎の本件訴訟を承継できる。

二  不動産所得の金額四万六八一七円については、当事者間に争いがないので、以下譲渡所得の金額について判断するのであるが、勇太郎が、昭和二八年三月一四日本件小田町の土地を取得(取得価額一二八万三九〇〇円)し、昭和二九年二月二〇日同地上に本件小田町の建物を建築(建築費六一五万円)したが、昭和四三年二月二〇日右土地を関西電力株式会社に三七〇八万円で売却したこと、同人が同年二月八日本件粉浜中之町の土地、建物(アパート)を訴外吉滝桝平から取得(取得価額一二七四万〇五八〇円)し、同年一一月二一日訴外田太秀一外一名に一二六二万五〇〇〇円で売却したこと、同人が同年一月ころ、本件住之江町の土地、建物(アパート)および御崎町の土地、建物(居宅)を取得したこと、同人は、右小田町の地上の所有建物の一部に自ら居住し、他を松田金属に使用させていたことは当事者間に争いがない。

そして、〈証拠省略〉および弁論の全趣旨によれば、本件小田町の土地上には、二階建居宅(建坪約一五坪、延約三〇坪)および平家建工場、倉庫等(建坪約九〇坪)が存在し、この居宅以外の建物は全て松田金属が使用し、居宅には勇太郎、原告松田マサ夫婦と養子の原告松田金二郎が居住していたことが認められる。

三  そこでまず、法第三八条の六第一項(事業用資産の買換えの場合の譲渡所得の金額の計算の特例)の規定の適用があるか否かの点について検討する。

1  原告らは、まず、松田金属が譲渡資産である本件小田町の土地、建物(前記居宅以外の建物)を、金属製錬の事業の用に供していたことを前提に、同会社は名ばかりの会社で「法人格否認の法理」により、実質的には勇太郎が個人で事業の用に供していたとみうるし、昭和四二年一一月一五日同会社が解散した後は現実に同人がその事業を個人で継続していたとして、前記土地建物は勇太郎の事業用資産に該当すると主張する。

しかし、〈証拠省略〉によれば、松田金属は、本件小田町の土地、建物で鉛、錫、銅などの製錬業を営んでいたところ、有害なガスを発生させるために付近住民から苦情が出て事業を継続することができなくなり、昭和四二年一一月一五日解散したこと(同日解散の事実は当事者間に争いがない)。右会社は解散前も同年三月ころから後はほとんど休業状態にあつたこと、このような次第で、右会社の解散後、勇太郎が個人で同じ事業をするという状況にはなかつたことが認められ、右認定に反する〈証拠省略〉は前掲各証拠に照らして信用できない。

すると、勇太郎が関西電力株式会社に本件小田町の土地を譲渡した当時、松田金属、勇太郎ともに前記小田町の土地、建物で金属の製錬事業はしていなかつたのであるから、それだけで原告らの右主張は失当というほかないが、なお「法人格否認の法理」の適用について付言すると、この法理は、法人格が全くの形骸にすぎない場合またはそれが法律の適用を回避するために濫用されているような場合に、取引の相手方等を保護するために、その相手方等に会社の法人格を否認して、その取引の背後にある個人の責任を追求できるようにするものであるが、それ以上に、実体上他の人格と区別される法人が存在し、かつ前記の事由が存在しない場合にまで、原告ら主張のように、単に法人の資金、組織が小規模で、その経営全般が特定の個人とその家族によつて掌握され、個人的企業の色彩が濃いというのみで、当該法人の独立性を否定し、この法理の適用を認めるものではなく、しかも、会社の法形態を利用した者に、相手方の損失において法人格の否認を自己の利益に援用することを許すものではないから、本件において、松田金属の法人格を否認するために、この法理を適用することはできないといわざるをえない。

2  つぎに原告らは、勇太郎は本件小田町の土地、建物(前記の一部)を松田金属に賃貸していたから、事業に準ずるものとして法施行令第二五条の六第一項が定める「事業と称するにいたらない不動産の貸付け等の行為で相当の対価を得て継続的に行なうもの」に該当すると主張する。

しかし、全証拠によつても、松田金属が賃貸借に基づき右小田町の土地建物を使用していたとは認められない。なるほど〈証拠省略〉によると、同会社の昭和三三年一二月一日から昭和四二年一一月一五日解散までの間の各事業年度の決算書のうち、昭和三六事業年度(昭和三五年一二月一日から昭和三六年一一月三〇日まで)および昭和三七事業年度(昭和三六年一二月一日から昭和三七年一一月三〇日まで)の決算書には、勇太郎に対する前記土地、建物の賃借料として、それぞれ年額三万円と四万五〇〇〇円が計上されていることが認められるが、〈証拠省略〉によると、勇太郎は松田金属が同族会社であるために賃料は全く受取つていなかつたというのであるから、右の決算書の記載のみから直ちに、勇太郎と松田金属間の右土地、建物賃貸借契約成立の事実を推認することはできない。結局、松田金属の前記小田町の土地、建物使用は、使用貸借によるものとみざるをえない。

なお仮に、原告ら主張のように、勇太郎と松田金属間に前記小田町の土地、建物の使用料として、昭和三六事業年度までは年額三万円、昭和三七事業年度以降は年額四万五〇〇〇円を支払う約束があつたとしても、法施行令第二五条の六第一項は事業、すなわち営利を目的とする継続的行為で、社会通念上も事業と認められるものに準ずるものを定める規定であるから、同項にいう「相当の対価」も、貸付け等の用に供している資産の固定資産税、減価償却費、その他の必要経費を回収してなお多少の利益を生ずるような対価をいうものと解されるところ、〈証拠省略〉によると、右小田町の土地、建物全体の固定資産税額は昭和三六、三七年度ともに年額四万四一〇〇円であり、松田金属の工場関係の減価償却額は年額一九万一七六〇円(内訳、倉庫二万七〇〇〇円、工場三万四六一五円、煙突一〇万三三三三円、車庫二万六八一二円で、この額は当事者間に争いがない)であるから、右の使用料の額は、これらの合計額二三万五八六〇円さえも大きく下回つており、これを到底右の「相当の対価」ということはできないから、結局、勇太郎が本件小田町の土地、建物を松囲金属に貸付けた行為をとらえて、事業に準ずるものとすることはできない。

3  すると、その他の要件についての判断をまつまでもなく、本件小田町の土地(松田金属が使用していた部分)の譲渡については、法第三八条の六第一項の適用はないものというほかない。

四  つぎに、法第三五条第一項(居住用財産の買換えの場合の譲渡所得の金額の計算の特例)の規定の適用があるか否かの点について検討する。

1  勇太郎は、本件小田町の土地上に二階建居宅(延約三〇坪)を所有し、これに居庄していたが、昭和四三年二月、その敷地である本件小田町の土地(敷地部分はその一部)を関西電力株式会社に譲渡したことは、すでに記したところであり、右土地譲渡とともに右建物はとりこわしたので、同人は、同年一月ころに取得した本件御崎町の建物に同年二月一九日ころから居住することになつたこと、そして同人自身少なくとも同年四月ころまではこれを居住の用に供していたこと、同年五月ころからは、同人の養子で当時未成年者の原告松田金二郎が、原告松田マサと共にこれに居住し、その状態が続いたことは、当事者間に争いがない。

2  原告らは、勇太郎自身昭和四三年五月以降も本件御崎町の建物を居住の用に供していた、仮にそうでないとしても、同人の扶養親族である原告松田金二郎がこれを居住の用に供していたから、前記小田町の土地(居宅敷地部分)の譲渡については、法第三五条第一項の規定が適用されると主張する。

そこで、右御崎町の建物の取得以後の使用状況等についてみるに、前記当事者間に争いのない事実に、〈証拠省略〉を総合すると、勇太郎と原告松田マサ夫婦それに同人らの孫で養子である原告松田金二郎(昭和二四年四月二二日生)は、本件小田町の建物(居宅)に居住していたが、勇太郎の女性関係がもとで夫婦は不仲になり、昭和四三年一月一一日協議離婚し、当時一八才で高校二年生の原告金二郎の親権者には、養母の原告マサがなつたこと、右協議離婚の届出に先立ち、原告マサと原告金二郎は勇太郎と別居し、同原告らは、浪速区芦原町のアパートを借りて居住していたこと、その後、勇太郎は本件小田町の土地を関西電力株式会社に売渡し、地上の右居宅はとりこわしたので、同年二月一三日ころ本件御崎町の建物(二階建で階下には八畳の間と炊事場があり、二階には六畳と八畳の二部屋がある)に移転し(同所に転居届がなされたのは同月一九日)、以降同年四月末ころまでこれに起居し、ときに本件住之江町の建物(アパートで清風荘という)の管理のため、右建物(清風荘)に赴くことはあつたが、おおむね右御崎町の建物に専住していたこと、ところが、同年四月末ころ、タイ人に嫁ぎタイ国に居住していた勇太郎らの五女の原告松田政子から、両親の離婚を案じて五月に夫や子供らとともに一時帰国する旨の連絡があり、その際原告マサから勇太郎に、原告政子らの家族を右御崎町の建物に住まわせ、自分らも原告政子らと一緒に生活したいからこれを明けてもらいたい旨の申出があつためで、勇太郎はこれをききいれて、四月末ころ、住之江町の前記清風荘の管理人室に転居したこと、しかし勇太郎は、同所に転居届は出さず、フトン類は持ち運んだが、自分の表札や洋服ダンス、衣類、炊事道具はそのまま御崎町の家に残してきたこと、清青荘の管理人室は六畳一間であるが、鏡台や洋服ダンスもあり、炊事もできる構造になつていて、日常の生活に不自由な状況にはなかつたこと、勇太郎が右御崎町の建物から出たあと、同年五月からは原告マサ、同金二郎親子と帰国した原告政子の家族が右建物に居住することになり、原告政子らは同年一〇月末ころタイに帰つたので、そのころまでその状態が続いたこと、その間ときに勇太郎も御崎町の家に原告政子らを訪ねて話をすることはあつたが、同年五月以降はこれに起居することはなく、離婚してからは、原告マサらからも独立した生計を営み、共に生活することはなかつたこと、勇太郎は、原告政子の家族がタイに引揚げたのち直ちに、原告マサ、同金二郎に本件御崎町の建物を明渡すよう申し入れたが、同原告らは移転先がないことを理由としてこれに応せず、勇太郎もその居住を容認するほかなかつたこと、それで現在まで原告マサは引続きこれに居住し、原告金二郎も最近まで原告マサと共にこれに居住していたこと、原告金二郎は、資産がなく、勇太郎らが離婚したのちは、養母の原告マサに養育され、原告松田勝太郎(勇太郎、原告マサの長男)がその生活費を援助していたもので、勇太郎からは別居したころ教育費として二〇万円を貰つたが、その後は生活の面倒をみて貰うことは本件御崎町の建物を無償で使用させて貰うほかには、格別なかつたこと、勇太郎は昭和四四年五月ころ、右住之江町の建物(清風荘)を売却したので、その後は住吉区墨江西八丁目所在のサンコーマンシヨンの一室を借りてそこに居住していたが、昭和四七年六月ころから再び本件御崎町の建物で原告マサと生活をともにするようになり、昭和四八年三月七日には同人との婚姻届をしたこと、以上の事実が認められ、〈証拠省略〉中右認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、勇太郎が、本件御崎町の建物に居住する意思をもつて現実にこれに起居し、客観的にも右建物を生活の本拠にしたのは、昭和四三年四月末までで、同年五月以降昭和四七年六月ころまでの間は、なお、右御崎町の建物に自分の表札を掲げ、家財道具が残り、その所在地に住民基本台帳における住所があつたとしても、これに居住していたとはいい難く、その間の生活の拠点は、これとは別に住之江町のアパート(清風荘)の管理人室、ついで借用した墨江西八丁目のサンコーマンシヨンの一室にあつたというべきであるが、勇太郎は養親として原告金二郎を扶養する義務があり、同原告に二〇万円を支給したことも、本件御崎町の建物を無償で使用させたことも、その扶養とみることができる。被告は生活費を支給するのでなければ扶養したことにならないもののように主張するが、扶養のための給付は、生活費たる金銭の交付に限らないのであつて、住宅のごとき生活上必要な物を使用させることによつても、なされるのである。

3  ところで、法第三五条第一項が居住用資産の買換えをした場合に、資産の譲渡価額が取得価額をこえるときに限り、その部分のみを課税の対象としたのは、居住用資産を譲渡した場合には居住用代替資産を取得する蓋然性が高いので、居住用資産を譲渡した者が所得税の負担なくして同程度の居住用代替資産を取得することができるようにする趣旨にでたものであり、取得した資産を取得後一年以内に居住の用に供さなくなつたときに右の特例を認めないことにしたのも、そのような場合は、この制度の趣旨にそわないからである。このような趣旨からすると、同項にいう「居住の用に供する」とは、生活の本拠をそこに置いて日常起居することをいい、表札や家財道具があり、住居基本台帳における住所がそこにあるが、生活の拠点は別のところにあるというような場合は、これにあたらないというべきである。したがつて、勇太郎自身は本件御崎町の建物を一年以内に居住の用に供さなくなつたものといわざるをえない。

しかし、法第三五条第一項が「個人の居住の用に供する」といううちには、その者の扶養親族の居住の用に供する場合も含むと解され(法施行令第二四条第二項)、ここに、扶養親族とは、当該個人に扶養されている配偶者その他の親族をいい(旧所得税法および現行所得税法は扶養親族の意義を定めているが、いずれも親族から配偶者を除外しており、右条項の扶養親族をこれと同じ意義に解するのは合理的でない)、扶養親族か否かは居住用代替資産を取得した日から一年を経過する時点で判定するのが、右制度の趣旨にそうものといえる。すると、本件御崎町の建物は勇太郎がこれを取得後一年以内にその扶養親族である原告金二郎が居住の用に供したものというべきである。

そして、その他の要件を欠くことは被告の主張しないところであるから、本件小田町の土地(居宅敷地部分)の譲渡については、法第三五条第一項の適用があることになる。

五  しかして、不動産所得の金額が四万六八一七円であること、本件粉浜中之町の土地、建物および小田町の土地の譲渡による収入金額(譲渡価額)、取得費(所得税法第三八条第二項にょり取得価額から償却額を控除した金額)、譲渡に要した経費(譲渡経費)およびそれらの内訳が、別紙計算書(1)(注記を含む)記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

本件小田町の土地のうち前記居宅敷地部分は面積が別紙計算書(2)の番号2の数量欄および注1のとおり一八・三四坪(六〇・六二平方メートル)でその譲渡については、前叙のようにその譲渡価額が本件御崎町の土地、建物の取得価額をこえる場合でなければ、課税の対象とならないところ、右譲渡価額は別紙計算書(2)の番号2の譲渡価額欄および注2にあるとおり五二九万六七二七円であるが、右取得価額についてはこれを認定できる証拠がないので、納税者である原告らに有利に、前記譲渡価額と同額ないしはこれを上回るものとみて、これについては、結局、譲渡所得は発生しないものとせざるをえない。

つぎに、右小田町の土地のうち右居宅敷地部分以外の土地一一〇・〇五坪(三六三・八〇平方メートル)の譲渡価額、取得価額、譲渡経費、譲渡益については、別紙計算書(2)(注3ないし7)記載のとおりに算定できる。

勇太郎は、本件粉浜中之町の土地建物を取得後三年以内に譲渡しているから、いわゆる短期譲渡に該当し、本件小田町の土地は取得後三年をこえる期間を経過して譲渡しているから、右土地のうち居宅敷地部分以外の土地の譲渡は、いわゆる長期譲渡に該当することになり、特別控除額三〇万円は、まず前者の譲渡益から控除し、残額を後者の譲渡益から控除することになる(昭和四四年法律第一四号による改正前の所得税法第三三条第三ないし第五項)。

以上を基礎にして計算すると、総所得金額は一三九一万八二四七円(うち不動産所得の金額は四万六八一七円、譲渡所得の金額は一三八七万一四三〇円で、後者の計算の詳細は別紙計算書(2)のとおり)となる。

六  よつて、原告らの本訴請求中、総所得金額一三九一万八二四七円をこえる更正処分の取消、ならびにこれに対応する過少申告加算税の賦課処分の取消を求める部分は理由があるから、これを認容することとし、その余の部分は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石川恭 鴨井孝之 大谷禎男)

別紙〈省略〉

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